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旭川地方裁判所 昭和63年(ヨ)60号 判決

主文

一  債権者が債務者に対し雇用契約上の権利を有する地位にあることを仮に定める。

二  債務者は債権者に対し昭和六三年六月一日以降本案判決言渡まで毎月一五日限り一か月金一二万円の割合による金員を仮に支払え。

三  債権者のその余の申請を却下する。

四  申請費用は債務者の負担とする。

事実

第一  当事者の申立て

一  申請の趣旨

債権者は、「1 債権者が債務者に対し雇用契約上の権利を有する地位にあることを仮に定める。2 債務者は債権者に対し昭和六三年六月一日以降本案判決確定まで毎月一五日限り一か月金一二万五〇〇〇円の割合による金員を仮に支払え。」との裁判を求めた。

二  申請の趣旨に対する答弁

債務者は、「債権者の申請はいずれも却下する。」との裁判を求めた。

第二  当事者の主張

一  申請の理由

1  被保全権利

(一) 債務者は管工事の施工等を業とする有限会社であり、債権者は昭和六一年一一月経理事務担当として債務者に採用された者である。

(二) 債務者は、昭和六三年四月九日債権者に対し、債権者と債務者の従業員乙川一郎(以下、「乙川」という。)とのいわゆる社内恋愛を理由に同年五月三一日付をもって解雇する旨の意思表示をした。

(三) しかし、右解雇は個人の恋愛というおよそ解雇理由とはなり得ないことを理由とするものであるし、明らかに解雇権の濫用であり無効であるから、債権者は債務者に対し雇用契約上の権利を有する地位にあり、昭和六三年六月一日以降の賃金の支払を受ける権利を有するものである。

(四) 債務者は、その従業員に対し毎月一五日に賃金を支給しており、債権者の昭和六三年五月当時の賃金は基本給が一一万円、住宅手当が一万円、通勤手当が五〇〇〇円であった。

2  保全の必要性

債権者は、昭和六一年八月一八日に離婚した後、長男(昭和五三年一〇月二六日生)と暮らしており、会社から支給される賃金を唯一の収入として生計を立てている者であり、本件解雇の無効確認と賃金支払の訴えを提起すべく準備中であるが、本案判決を待っていては著しい損害を被るおそれがある。

二  申請の理由に対する認否

1  申請の理由1について

(一) 申請の理由1(一)の事実は認める。

(二) 同(二)の事実のうち、本件解雇が社内恋愛のみを理由にしているとの主張は争い、その余は認める。

(三) 同(三)の主張は争う。

(四) 同(四)の事実のうち、債務者が債権者に対しその主張のとおり賃金の基本給等を支給していたことは認める。

2  同2の事実のうち、債権者が長男と暮らしていることは認め、その余は知らない。

三  債務者の主張

1  債務者は、主として水道管工事の施工を業とする有限会社で、年間の総売上が約二億円、従業員が債権者を含めて一一名の零細企業であり、一般住宅の一階八畳間及び六畳間を事務所としている。

2  債務者の就業規則第二三条二号には従業員が「素行不良で職場の風紀・秩序を乱した」場合に懲戒をなし得る旨の定めがあり、同第二四条には懲戒の一つとして当該従業員を解雇し得る旨の定めがある。

3  債務者の代表者大津佐公は営業を、専務取締役大津繁人は水道管工事の図面作成及び事務一般を、乙川は工事現場で水道管工事の指揮監督をそれぞれ担当していた。

4  債権者は、昭和六一年一一月ころ債務者に採用され、経理等を担当していたが、間もなく乙川と急速に親しくなり、昭和六二年春ころには同人との関係が債務者の従業員らばかりでなく、債務者の取引関係者の間においても取り沙汰されるようになった。

5  債権者及び乙川は、勤務中に他の従業員が事務所に入ってきてもこれを無視して二人だけで談笑し、それぞれの事務机を隣り合わせて並べ、休息時間に一つのどんぶりからラーメンを交互に食べるなど余りにも常軌を逸する行為を行った。

6  債務者の従業員らは、債権者及び乙川の右態度を見るに見兼ねて、なるべく事務所に立ち寄らないようになり、昼食も路上の車の中で食べるようになった。

7  乙川は、本来工事現場において指揮監督する立場にありながら、他の従業員らが事務所に寄り付かないことをよいことにして、本来不必要な仕事を業務として行うと称し、債権者と共に事務所に常駐するようになった。

8  債務者の代表者は、同年一〇月ころ、債権者及び乙川の前記行為等について従業員らから苦情が寄せられたため、乙川に対し注意を促したところ、同人は債権者との恋愛関係を否定せず、その後の態度にも変化はなかった。

9  債務者の代表者は、その後も再三にわたり債権者及び乙川に対し注意を促していたが、昭和六三年三月ころ乙川の妻から乙川が度々債権者宅に宿泊し、離婚の意思を表明するようになったとの苦情が寄せられたため、同月九日、債権者及び乙川を呼び、身辺整理をするよう厳重に注意したところ、債権者は、「恋愛は自由である」などと述べ、全く反省の態度を示さなかった。

10  そこで債務者の代表者は、同年四月二日、債権者及び乙川に対し、社内の風紀等の点から同人らが同じ職場で勤務することは困難である旨告げたところ、同人らがこれに反発したので、同月九日債権者を就業規則第二三条二号、第二四条により懲戒解雇した。

債権者と乙川との関係は、いわゆる不倫として社会的に非難されるべきものであり、同人らがこうした関係を続けることは、債務者の取引先に対し、債務者が従業員の素行不良も注意できない会社であるとの印象を与え、債務者の信用を著しく傷つけるものであり、また現実に債務者の従業員の業務遂行の円滑さに支障をきたすものであったため、企業存立のため債務者は債権者を解雇せざるを得なかったものであり、本件解雇は正当な理由に基づくものである。

四  債務者の主張に対する認否

1  債務者の主張1の事実のうち、債務者の業種、債務者が一般住宅を事務所としていることは認める。

2  同3の事実のうち、乙川の担当職務については否認する。同人は事務所内での図面・書類作成作業をも担当していた。

3  同4の事実は概ね認める。但し、債権者らの恋愛関係が債務者の従業員らに噂されるようになったのは昭和六二年春の後である。

4  同5ないし7の事実は否認する。

5  同8、9の事実は争う。

6  同10の事実のうち、債務者の代表者が昭和六三年四月九日債務者を解雇したことは認め、その余は争う。債権者と乙川の恋愛関係により「会社の風紀・秩序が乱された」ことはないし、会社に対する相当重大な悪影響があったこともない。したがって、債権者についてこれを懲戒すべき事由はない。

第三  疎明関係〈省略〉

理由

一  債務者が管工事の施工等を業とする有限会社であり、一般住宅を事務所としていること、債権者が昭和六一年一一月経理事務担当として債務者に採用された者であること、債務者が毎月一五日従業員に賃金を支給し、債権者の昭和六三年五月当時の賃金の基本給が一一万円、住宅手当が一万円、通勤手当が五〇〇〇円であったこと、債権者が右の採用後間もなく乙川と急速に親しくなり、同人との関係が債務者の従業員らばかりでなく、債務者の取引関係者の間においても取り沙汰されるようになったこと、債務者が昭和六三年四月九日債権者に対し、同年五月三一日付をもって同人を解雇する旨の意思表示(以下、「本件解雇」という。)をしたこと、債権者が長男と暮らしていること、以上の各事実は当事者間に争いがない。そして、〈証拠〉によれば、債務者の就業規則に債務者主張のとおり懲戒に関する定めの存在することが一応認められる。

二  そこで、本件解雇の効力について判断する。

1  本件解雇に至る経緯

〈証拠〉によれば次の事実が一応認められる。

(一)  債務者は、水道の本管・排水管の敷設、水洗工事等を主な業とし、いわゆる正社員及び季節雇用者が各約一〇名程の規模の有限会社である。債権者は、昭和五一年に大学を卒業して会社勤めをし、昭和五二年五月に結婚して一子を儲けたものの、昭和六一年八月一八日子の親権者を債権者と定めて夫と協議離婚し、その後募集広告に応じて同年一一月一日債務者に雇用されたものであるが、昭和六二年五月ころから債務者の従業員であり妻子のある乙川と親しく交際するようになり、やがて男女間係を含む恋愛関係を結ぶに至った。

(二)  債権者と乙川との交際は、乙川が昭和六二年八月ころ債権者の住むアパートに泊まるなどした際にアパートの前に停めた乙川の車を会社の従業員に見られたり、そのころ債権者と乙川とが会社の事務室内で弁当のおかずを交換して食べたり、親しそうに話したりしていたため間もなく会社の従業員らに知られるところになり、従業員、取引関係者らの噂の種にされるようになった。

(三)  債務者の代表者は、従業員や取引関係者から債権者と乙川との関係を聞き、同年一〇月ころ、乙川に対し、妻と子のためにも債権者との交際を断つよう忠告したが、その後も同人らの交際は続いた上、乙川の妻が乙川から離婚をほのめかされて困っているなどという話を人伝てに聞いたこともあって、更に昭和六三年一月、債権者及び乙川に対し、「プライベートなことに干渉できないが、二人は交際を止めた方がよい。」旨の忠告をした。

(四)  債権者と乙川の事務机は、会社の事務室において、昭和六二年七月までは他の従業員の机を隔てて配置されていたところ、同年八月ころ、債権者と乙川は、右従業員が退職したことをきっかけに、無線機や電話をとるために便利だとして両者の事務机を隣接させたが、同年一二月債務者の代表者から指示を受けて、再び他の従業員の机で隔てるよう置き直した。

(五)  債務者の代表者らは、前記忠告後も債権者と乙川との交際が依然として続いていたため、同年四月二日乙川に対し、債権者が二か月後くらいをめどに会社を辞めるよう話をして貰いたい旨申し向けた。乙川からこの旨を伝えられた債権者は、同月五日債務者の代表者に会って右の件について説明を求めたところ、同人から、乙川との交際に対し会社内外で非難の声が上がっていること、交際により、社内の風紀が乱され、従業員の仕事の意欲が低下し、債務者の代表者の体面が汚されることなどの理由をあげて退職して欲しいと告げられた。

これに対し、債権者は、交際により風紀が乱されたり仕事の意欲が低下したことはないし、乙川との関係はプライベートなことで、当事者間で解決に向けて話し合っているところだから退職しなければならない理由はない旨答え、退職の意思のないことを伝えたが、債務者の代表者から、「家庭を壊すのはよくないし、二人の交際は不倫であって、いくら仕事に支障がなくとも従業員に示しがつかず、私が笑い者になるからとにかく会社を辞めて欲しい。」旨言い渡された。

(六)  債務者の代表者は、同月九日債権者に対し、債権者が債務者の従業員で妻子のある男性と恋愛(不倫)関係を続け、会社全体の風紀・秩序を乱し、企業の運営に支障をきたしたので、解雇する旨記載した解雇通知書を手渡し、本件解雇をした。

以上の事実が一応認められ、他に右認定を左右するに足りる疎明はない。

2  解雇の効力

債権者が妻子ある乙川と男女関係を含む恋愛関係を継続することは、特段の事情のない限りその妻に対する不法行為となる上、社会的に非難される余地のある行為であるから、債務者の前記就業規則第二三条二号所定の「素行不良」に該当しうることは一応否定できないところである。しかしながら、右規程中の「職場の風紀・秩序を乱した」とは、これが従業員の懲戒事由とされていることなどからして、債務者の企業運営に具体的な影響を与えるものに限ると解すべきところ、前記認定の債権者及び乙川の地位、職務内容、交際の態様、会社の規模、業態等に照らしても、債権者と乙川との交際が債務者の職場の風紀・秩序を乱し、その企業運営に具体的な影響を与えたと一応認めるに足りる疎明はない。債務者は、債権者が乙川と共に一つのどんぶりからラーメンを食べるなど常軌を逸した行為に及んだため、債務者の従業員が右の行為等を見るに見兼ねて事務所に立ち入らなくなったし、乙川が必要な仕事をせずに事務所で債権者と一緒にいるようになった旨主張し、〈証拠〉にはこれに沿う部分があるが、これらはいずれも〈証拠〉に照らし措信できず、他に債務者の右主張事実を一応認めるに足りる疎明はない。

以上の次第で、本件解雇は、懲戒事由に該当する事実があるとはいえないから無効であり、他に主張・疎明のない本件においては、債権者は依然として債務者の従業員たる地位を有するものである。

三  賃金の請求と保全の必要性

債務者が従業員に対し毎月一五日に賃金を支給していたこと、債権者の昭和六三年五月当時の賃金の基本給が一一万円、住宅手当が一万円であったことは当事者間に争いがないところ、弁論の全趣旨によれば、債務者が本件解雇後、債権者を従業員として取り扱わず、賃金も支払っていないこと、債権者は、それまで債務者から支給を受ける賃金でその生計を維持してきており、賃金の支給を受けられなければ回復し難い損害を受けるおそれがあることが一応認められるので、一か月当たり右基本給と住宅手当の合計額一二万円の限度で仮払いについて保全の必要性があるものというべきであるが、その必要性は本案事件の第一審判決言渡後においてはこれを認められない。

また、債権者は通勤手当の仮払いも請求しているが、〈証拠〉によれば、同手当は賃金に含まれていないことが明らかである上、特段の事情のない本件においては、同手当は従業員が現実に要した場合にこれを支給する性質のものであると認められるから、通勤費用を支出しなかった原因が債務者の行為にあったか否かを問わず、債権者が債務者に仮払いを求めることはできないものというべきである。

四  よって、本件仮処分申請は主文第一、二項の限度で理由があるので、事案の性質上保証を立てさせないでこれを認容し、その余は理由がないので却下し、申請費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 大出晃之 裁判官 石山容示 裁判官 植垣勝裕)

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